株式会社connecting food 小古間 代表取締役社長 田邊和利さんを取材して

「食と心で人をつないで」

代表の田邊和利さん(49歳)は、2014年に個人事業主として水産仲卸の小古間を引き継ぎ、2021年に株式会社connecting food(コネクティングフード)を設立した。小古間は1935年築地市場にて仲卸として開業。コネクティングフードの経営理念は「食と心で、人をつないで」である。ホームページには『人をつなぐことそのものが目的なのではなく、つないだその先にある美しさや健康、笑顔、そして、平和といったありとあらゆる喜びのため「connecting food」という意味を込めて、「人をつなぐ」ではなく、「人をつないで(connecting food)」という表現をしている』とある。確かに約1時間のインタビューでの印象は、和利さんという方は、人と人がつながったその先の未来を見据えている人ではないだろうかと感じた。同時に私の頭にひとつの言葉が浮かんだ。それは、近江商人の「三方よし」である。三方よしとは、「商いは自らの利益のみならず、買い手である顧客はもちろん、世の中にとっても良いものであるべきだ」ということである。

田邊和利さんは、食と心で、いろんな人をつないで、ひょっとすると世界中の人をつないで、三方よしの幸せを提供する人になるのではないかと思った。

会社概要

株式会社connecting food会社名:株式会社connecting food

代表取締役社長:田邊和利

所在地:〒286-0102 千葉県成田市天神峰80-1

事業内容:

  • 水産物卸売
  • 青果物卸売
  • 業務用調味料卸売
  • 冷凍食品卸売

ウェブサイト:https://www.cnt-fd.com/

居酒屋でアルバイトを始める

荒川区で生まれた和利さんは、小学校5年生で父親の仕事の関係で千葉に引っ越して来た。祖父母は、日本で初めてハンカチーフにプリント加工を行った足利市の染物会社「朝日染色」の創業者とのこと。また和利さんの父のいとこは足利銀行の頭取を務めたそうだ。だが和利さんの父親はよく酒を飲む人だったようで、決して裕福といえる家庭ではなかった。中学校2年生のとき、友人の親が経営する居酒屋を手伝うことがあり、和利さんも一緒に少し働いた。2日間で1万円以上のお金をもらった。そのため「働くっていいな」と強く思ったとのこと。当時高校3年生の2つ上の兄もアルバイトをしていた。和利さんの高校入学と同時にその兄のアルバイト先の仕事を引き継いだ。以前からアルバイトをしていた兄をうらやましく思っていたため、入学草々に兄と同じその定食屋で和利さんもアルバイトを始めたのである。一般の高校生のように部活などは行わず、アルバイトに明け暮れた高校生活であった。

食堂の一切を任される

高校卒業後は、成田のやはり食堂で働くことになった。その店のひと回り上のマスターはほとんど働かず、和利さんに料理を作らせ、かつ店の切り盛りの一切を任せたそうである。しかし、いくらあまり働かないマスターとはいえ、卒業したばかりの和利さんに、店の切り盛りを託すくらいだから、既に和利さんには商売上手の芽が生まれていたのだろう。その後22歳で旧成田市場の水産部門で働いている時に結婚。元来食べることが大好きで、食べたいものに囲まれ、また魚のさばき方やおいしい料理の仕方もいつの間にか身に付き、楽しい充実した毎日を過ごした。またその他にイタリアンレストランやホテルでもアルバイトをした。

その後、成田市場仲卸の小古間でもアルバイトとして働くようになった。伝票を分けて注文いただいたお店に配達するうちに、様々なつながりもできた。人懐っこい性格がそうさせるのか、すぐに他の人と知り合い、親しくなる。そして信用され仕事を任される。その和利さんの元来持つ特性は、その後も大いにいろんな場面で活かされることになるのである。

バンコクに小古間を開店

2014年に小古間の社長が辞めることになった。そして和利さんが、個人事業主として引き継ぐことになったのである。当時の売上は6,800万円くらいだったとのこと。以前から自分の回りの人に「そのうち海外で商売をしたい」と話していたそうで、なんと翌2015年には知人の紹介もあり、タイに小古間バンコク支店を開設した。日本人でありながらバンコクに住むその紹介された知人は、バンコクの日本企業の赴任者や日本食の料理店などに強いネットワークを持つ人だった。週2回の魚の輸出や、現地で焼いた「さんまの塩焼き」は大好評を博し、大いに売れたのであった。

事業再構築補助金でフォークリフトを買う

そして2022年に事業再構築補助金を活用し、補助事業を開始することになった。和利さん曰く、今回が今までの中で最も大変な年だったと。以前小古間を引き継いだときは、既にあるインフラをそのまま活用することができた。しかしながら、今回は新成田市場への移転も重なったことで、移転に伴う業務もさることながら、フォークリフト1台から購入して揃える必要があった。さらに従来の主な取引先は、飲食・ホテル関係者が中心だったため、コロナ禍による売上低下の影響を大きく受けたのである。そのため補助金を活用して、売上回復および売上拡大を目指し「食品製造業」に進出することを決断したのである。

プライベートブランドOEMを確立

高級スーパーのプライベートブランド商品のOEM生産を目指すことにした。まずは小ロットで食品を製造してテスト販売したいというお客様の要望から、幅広い種類の製造が可能な「総菜製造業」と「冷凍水産食品製造業」へと踏み出すのである。富里工場で総菜を製造し、新成田市場工場ではより売上が見込める冷凍水産食品を製造する。そして成田空港に近いという立地も活かし、将来的には海外への販売も視野に入れているのである。

中国の算命学に出会う

和利さんは、約1年前に「算命学」に出会ったそうだ。算命学とは中国陰陽五行を土台とした運命学の一流派であり、伝統を継承しながら日本で学問として大成されたという。算命学によると、株式会社connecting foodは将来に向けて大きく成長するとのこと。そして、それを実現化させるのは和利さんの奥様の力によるところも大きいとのことだ。

商品の目利きと人の目利きが重要

「売上数字としては、100億円を目指したい。そして経営方針として、なるべく少ない人数で、大きな売上を目指したい」。和利さんは語る。そのためには、「人」が重要である。和利さん自身は、人を切れない。それどころか、その人が出来ないようだったら代わりにやってあげてしまうといった性分である。それが自分で分かっているだけに、新しい人を採用する際は、慎重に「人」を見るようにしたいとのことだ。商品の目利きと同様に、これからは人への目利きも重要だということだろう。

B級品の販路探し

最近、知人からの相談で「おくら」ビジネスのコンサルティングも手掛けているそうだ。生産者がいわゆるB級品扱いの商品の販路で困っていると知った。粉末のパウダー状にしていろんな食品のつなぎとして使うことを提案したりもしているそうだ。

国の枠を超えたマーケテイング

常々従業員には、「市場に来ている一人のお客様の取り合いを考えるな」と話しているそうだ。市場はとても小さなマーケットである。そして何よりコネクティングフードは、食べ物なら何でも挑戦していく会社だからとのことである。枠を作らない、そして国の枠も考えるなといったことを話しているそうだ。

食のプロデューサー

代表取締役社長田邊和利

田邊和利さんという人は、とてもグローバル感が強い人である。海外に住んだことがあるわけではないが、人間としての軸が一般的な日本人とは、少し違うものを持っているような魅力がある。そしてプロデュース能力が非常に高い人である。ご自身がいろんな引き出しを持っているからこそ、また今までの経験からくる多彩なネットワークを持っているからこそ、食のプロデューサーとしても今後さらに活躍するのではないだろうか。数年後には、まさに「食と心で、世界中の人をつないで」いる田邊和利さんにお会いできるような気がする。

 

インタビュアー:経営創研株式会社 堀部伸二